地上へ続く縦穴、入り口付近。旅支度をしたを見送るため、勇儀を始めパルスィ、ヤマメ、キスメの面々が集っていた。

「寂しくなるねぇ」

 ヤマメの零した言葉に桶の中でキスメが頷く。

「そんなことないです。目的を果たしたら帰って来ますから」
「そう、だよね…。まぁなんだね。初めての地上なんだ、満喫しておいでよね」
「はいっ」

「………」

 和やかな会話を耳にしながら、勇儀の容貌は晴れない。
 帰ってくる、と。その言葉を素直に受け入れることが出来ない。待つ時間を想像するだけで、内蔵が鉛を含んだようにずしんと重くなる気がする。
 そんなことを考えている時だった。
 背後から砂利を踏む足音がふたつ鳴る。

「……あんたらは地霊殿の」
「こいしさま、燐さま!」
「地上に行くって聞いてね。見送りに来たよ」
「無論歓迎されてはいませんが…いいでしょう。
、くれぐれも気を付けてくださいね。地上には素晴らしいものも溢れていますが、危険もあるでしょうから」
「ありがとう、さとりさま。あの、空さまは……」
「来たがってはいたけれど、あの子は灼熱地獄の管理がありますからね」

 さとりはへ歩み寄り、案じるような手つきでの円やかな頬を撫でる。その愛でるような所作に勇儀の片眉がピクリと痙攣し、それに気付いたパルスィはため息を吐いた。
 勇儀は地霊殿の面々をあまりよく思っていない。諸々理由はあるだろうが、その最たる原因はこれだ。さとりの、に対する態度。本人は単にを気に入っているだけだと主張するが、それにしたってスキンシップが過ぎているというか、とにかく気にくわない。パルスィに言わせれば、あんたのスキンシップも大概よというところであるが。
 というかさとりのスキンシップにが微塵も動揺を見せないのは、ひとえに勇儀からのスキンシップが日常茶飯事で、慣れてしまったからに他ならなかったりする。

「ああ、あなたの心は相変わらずまっすぐで無垢ね……安らぎます」
「おい古明地の。いい加減うちのにベタつくのは終わりにしてもらえないかい?」
「あなたも相変わらず裏表がない。私はあなたのそういうところは好ましく思っているのですよ」
「ああもう、食えない奴だね……」

 心を読む能力故か、こちらの敵意をかわして翻弄するような言動で返してくる。こういうところも勇儀がさとりを苦手とする一因だ。

「さて…あまり引き止めるのも不粋ですね。地上にはこいしがいます。そうそう会うことはないでしょうが、もし見かけたらよろしく伝えておいて下さい」
「はい」

 が了承すると、さとりは満足したのか後ろへ下がった。入れ替わるように勇儀がの前に出る。

、もし紫の衣を着た胡散臭い賢者に会ったら嘘偽りなく全てを話せ。あと全体的に紅白な少女は博霊の巫女だ。仲良くするんだよ」
「はい」

 別れを惜しむかのように、をぎゅっと抱き込む勇儀。は柔らかな心地よさに目を細め、頬を擦り寄せた。

「では、行って参ります!」
「萃香と華扇によろしく言っといてくれよ!」
「はい!」

 ふわりとが舞い上がる。そうして手を振りながら、遥か上方に見える光の中へと消えていった。

「……行っちゃいましたねぇ」
「ええ。さ、お空も待っているし私たちはおいとましましょう」
「はい、さとりさま」
「では皆さま、ごきげんよう」

 軽く会釈をすると、悪霊も恐れ怯む少女は従者を引き連れて立ち去っていった。最後の最後まで、第三の目で意味ありげに勇儀を見つめながら。
 二人に続くように、ヤマメとキスメも窖の奥へと踵を返す。

「さ、私たちも帰ろうかね。姐さん、パルスィ、じゃあね!」
「……ええ。またね」

 上を見つめたまま微動だにしない勇儀に、ヤマメが心配そうな視線を送る。しかしパルスィが目配りすると頷き、キスメを連れて帰っていった。
 二人の帰路を見届けてから、パルスィが勇儀に向き直る。

「……勇儀」
「………」

 名前を呼んでも反応を示す様子はない。対の真紅はが消えていった光をひたすらに睨み据えている。まるであの光が、を奪った仇だと言わんばかりの眼光である。その胸裡に渦巻く、地上への嫉妬がパルスィには手に取るようにわかる。

(…こいつも、こんな感情に囚われることがあるのね)

 いつも快闊で豪気溢れる傑物が、嫉妬など。
 単純に意外だった。

(いい気味)

 ――でも。

(ちょっと似合わないわね)



「……?」

 すぅ、と。胸の中のつかえというか靄が晴れていくような感覚に見舞われる。目が覚めたような気持ちで勇儀が振り返れば、そこには美しい緑柱石の双眸があった。

「パルスィ、お前さん……」
「いつまで突っ立ってるつもり?いい加減行くわよ」

 ぶっきらぼうにそう言うなり、パルスィが勇儀へ背を向ける。そのまますたすた歩き始めたパルスィを、勇儀はぽかんとして見遣る。なんだか憑き物が取れた思いである。
 どうして突然、こんな胸のすく気分になったのか。
 呆然と考えていると、パルスィの足がぴたりと止まった。お、と思う勇儀へ、パルスィは振り返らずに声だけを投げ掛ける。

「晩酌ぐらい付き合ってあげるわ。だからさっさと来なさいよ」

 思わぬ言葉に意表を突かれ、勇儀は理解する。彼女が自分を元気付けようとしてくれているのだと。
 昔、まだパルスィを下賤な妖怪だと認識していた頃のことをふと思い出す。はこう言った。


『ねぇ、勇儀姉さま。橋姫さまはお優しい方よ。だってあの橋付近の怨霊はみんな穏やかだもの。橋姫さまがそのお力で、彼らの生者に対する嫉妬心を鎮めていらっしゃるからだわ。あの方は本当は、慈悲深い女神さま……』


 あの子がいなければ自分はこの橋姫を、未だ嫉妬狂いの妖怪だと思い込んだままだったかもしれない。
 パルスィの能力は嫉妬を操るというもの。彼女が疎まれ、地上を追われた原因。嫉妬心を増大させ発狂させることも出来るが、それならば逆に鎮めることも能力の内であろう。
 恐らく先程の心境の変化も、それによるもの。
 よき友を得たものだと思う。

「よーし!今日はとことん付き合ってもらうからね、パルスィ!」

 にっ、と豪快な笑みを称えると、勇儀は先行くパルスィ目掛けて駆け出した。


111005
夢主はお空を「うつほさま」と呼んでます。パルスィはわしの中で女神さまなんや!


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