長らく行方をくらませていた白弥が、ある日突然、ひょっこりと返ってきた。 右手にお馴染みの巨斧、左手には小さな命。 その赤ん坊はどうしたのと尋ねる華扇に、白弥はにかっと犬歯を見せて答える。嬉しそうな楽しそうな、そんな満面喜色の笑みで。 「私のややだ」 「「…… はぁあ!?」」 思わず前のめりで腹からの叫び声を上げたのは、華扇と勇儀の二人である。その後ろで萃香が一人、そいつはめでたいと笑い飛ばしている。流石山の四天王の最年長、動じた様子はない。 ぐびりと瓢箪を一度仰いで、萃香は白弥にありありと好奇心を浮かべた目を向ける。 「で?誰の子なんだい?」 「 龍 」 「……は?」 これには流石の萃香も呆気にとられて目を点にする。 問題発言をした当の本人はなんてことはない顔で、自分を凝視している三人に対する。 龍。それは幻想郷に存在する種の中でも上級種に属し、神に近いとされる生き物だ。もちろん高い知能と力を誇り、妖怪の山上空にかかる雲海の中を悠々と泳いでいるのだという。 咆哮は天を割り、怒りは大地を揺るがす。 「そんな龍とさ、私ら鬼が子を成したら最強種を作れるんじゃないかなーって思ってさ。かなり大変だけど、こうして作ってみたんだよ」 ごく軽いノリでとんでもないことをのたまう白弥に、一同唖然である。ここ数年行方をくらませていた理由は、問いただすまでもなかった。これだ。 鬼の思い付きなど総じて突飛なものばかりだが、中でも白弥は群を抜いていた。言うならば奇天烈。奇想天外。「奇」の白弥とは、正にいい得て妙である。 「……けどなぁ。残念だけど中途半端に血が混じっちゃったからかこの子自身はあんまり強い力を持ってないんだよねぇ。期待はずれっちゃ期待はずれだったんだけどさ」 そう口にしつつも、左腕に抱える我が子へ向ける眼差しはひたすらに優しく温かく。 巨斧を肘に持ち直し、あいた指先で小さな小さな角をくすぐるようにつついた。 「なんだろうな。そんなのどうでもようなっちゃうくらいに、この子が可愛く思えてならないんだよ」 そう語る白弥の面差しは、この場の誰も知り得ぬものだった。 常ならば勇ましい荒くれ者が、このような情愛を見せるとは。三人はどこか感慨深く、母子を見守る。 「ねぇ白弥、その子を抱かせてもらっても?」 「ああ、かまわんよ。ほれ」 快諾した白弥が赤子を華扇に差し出す。自分から言い出した割には怖々と手を出す華扇に焦れたのか、白弥がずいと押し付ける。慌てて抱き止めると、華扇は非難めいた声を上げた。 「もう!白弥!!」 「ビクビクしなくてもそんなにヤワじゃないって。人の子と違って首も据わってるしさ」 「それでも怖いわよ……」 「だから大丈夫だって」 人の気も知らずに笑っている白弥に顔をしかめながら、華扇は腕の中へ視線を落とす。そこには無垢な幼子の、自分を見上げるまあるい瞳があった。母と同じ黒髪と、桃色のふくよかな頬。赤子特有の丸々とした腕に小さなもみじの手。 思わず感動する華扇に寄り、萃香と勇儀も赤子を覗き込む。 「へぇ、かわいいじゃん」 「綺麗な赤ん坊だねぇ。なぁ白弥、次は私に抱かせておくれよ」 「いいとも」 「そうだ白弥、この子の名前は?」 「まだない」 「えぇ!?」 「まだない!?」 思わぬ返答に驚きを顕わにする萃香、勇儀、華扇。白弥はうむ、と頷き三人を見遣る。 「それで、だ。お前たち三人に名付け親を頼もうと思ってな。何かひとつとびきりいいのを頼むよ」 「また、エライことを軽々と言ってくれるわね」 「よーし、じゃあここはこの萃香ちゃんが名付けてやろうかな!んー、八海山!」 「おい馬鹿やめろ萃香」 ああでもないこうでもないと言い合い、頭を悩ませる仲間たちの姿を白弥が楽しそうに眺める。 三人は知らない。知る由もない。 この愛すべき友人を、やがて欠くことになろうとは―― 追憶にふけっていた勇儀は、ゆっくりと瞼を開けた。薄暗い部屋の中、が布団で眠りについている。掛け布団から出ている顔には、幾つかの傷が確認できた。実のところ今も眠っているというよりは、気を失っていると言った方が正しいだろう。 壁に凭れさせていた背中を離し、の元に行く。そしてその頬を手の甲で撫でながら、勇儀は目を細めた。 の身体は、至るところに傷を負っている。勇儀との段幕特訓でついた怪我だ。今まで過保護にしてきたため段幕勝負をさせてこなかったが、いざ特訓を始めてみるとこれが中々センスがいい。やはり鬼と龍の血が成せる業か。杯を持った状態であれば、打ち負かされる日もそう遠くはないだろう。 とはいえ勇儀がその気になれば一瞬で一捻りに出来るのだが。 「………」 傷は、一眠りすればある程度は治ると自身が言っていた。 最初特訓でを傷付けてしまった時などは、これ以上なく狼狽えてしまって、とてもじゃないが特訓を続けられそうにもなかった。 だが自分が認識していたよりずっと、の身体は頑丈に出来ているらしい。それはそうだろう、なんせあの白弥の子だ。けれど自分は壊れ物のように繊細な硝子細工のように、を扱ってきた。どんな危険も及ばないよう、微々たる危惧からも遠ざけてきた。 とんだ勘違いだ。思わず口元が自嘲に歪む。 ああ、だとしても私がお前を大事に思っていることに変わりはないんだよ。 赤い双眸に、暗い影がさす。顔容からは抜け落ちてしまったように喜怒哀楽がない。 今からでも遅くはないだろう。この子の両足をもいで、何処にも行けなくしてしまおうか。 じゃら…。 手枷の鎖が擦れ合い、不穏な金属音を立てる。 勇儀はに手を伸ばし、そして―― つややかな前髪を、労るような優しい所作でかきあげた。 「……はっ」 所詮そんなこと、出来はしないのだ。 「ん……、ゆ、うぎ姉さま…?」 「。気が付いたかい?段幕特訓の最中に落下したんだよ」 「そうですか…まだまだですね、私」 「いいから、今日はこのままお休み」 「はい……」 寝かし付けるように瞼の上に手をかざせば、すぐにから安らかな寝息が聞こえてきた。 先程までは僅かに寄せられていた眉も、今は穏やかに開かれ安心しきった寝顔を見せている。勇儀はふ、と苦笑を浮かべると、傍らの杯に手を伸ばした。器を傾け、吟醸を喉に流し込み一息つく。 「考えても詮無き事だが――お前がどんな道を選んでも、私は此処で待つよ。それだけだ……」 夢の中のには届かないと知りながら、勇儀がそう零す。いや、届かないからこそ口に出来たのだろう。 しばらく寝顔を見つめた後、ふぅ、と酒気帯びた息を吐いて勇儀は立ち上がり、部屋を出ていった。 110930 戻る |