地を天とする旧都に、本来なら降り得ないはずの雪が舞う。 連なる瓦屋根の上空、勇儀は二人の侵入者と対峙していた。侵入者の片割れ、金髪の魔法使いがふと問いかけてくる。 「なぁさっきから訊きたかったんだが」 「お?なんだい?そっちはもう降参かい?」 「いや、ここって地下世界だろう? なんで雪が降ってるのかと思って……」 「あん?まあ冬だから雪が降るのは当然だね」 何百年と繰り返されてきた事象。春は暖かく、夏は暑く、秋は涼しく冬は寒い。雨期には雨が降るし、真冬にもなれば雪も降る。一人の少女がもたらすそんな非日常が、もはや旧都の住人にとっては「当たり前」のことになっていた。そうして彼らは、一年の移り変わりを知るのだ。 しばらく侵入者とやりとりを交わした後、力試しと称して段幕ごっこをしかける。酔いの水面を盃から零してしまわないという、自分流の制約(遊び)。それに乗っ取っていたとはいえ押し切った二人に満足した勇儀は、上機嫌で屋敷へと戻ってきた。 「ただいまー。今帰ったよ!」 「………おかえりなさい」 「(ありゃ、ご機嫌斜めだね)」 うってかわっては不機嫌全開である。置いていかれたことにスネているらしく、定位置である勇儀の膝に座るどころか傍に来ようともしない。内心苦笑しつつも、そっけないの気をひこうと勇儀は先刻の出来事を話して聞かせるため口を開いた。 「いやーそれにしても中々に骨のある奴らだった!こりゃ酒もうまくなるってもんだ!」 「……まぁ。どんなお相手だったの?」 そっぽを向いていたが、興味をそそられたらしく尋ねてくる。つかみは上々のようだ。よしよし、と勇儀は内心ほくそ笑んだ。 「うん、巫女と魔法使いだった。人間だったがそこらの妖怪よりよっぽど腕が立つ奴らだったよ」 「! 人間、ですか!」 人間、という単語にが過剰なまでの反応を見せる。無理もない、生まれてすぐ地底へと連れてこられたは、人間というものを見たことがなかったのだ。 ぱぁっと好奇心に輝いた瞳に可愛いなぁ、と頬を緩めながら、もっと喜ばせようと話を続ける。 「それでその人間なんだが、地上のサポートと交信していてね。なんと、その中に萃香がいたんだよ!」 「……!萃香姉さまが!?」 驚きに目を見張るのリアクションに気をよくし、至極満足そうな顔で勇儀がうんうんと頷く。 「私も驚いたが、とにかく元気でやってるみたいだったよ」 「萃香姉さま……。華扇姉さまも地上にいらっしゃるし、お会いしたいな……」 ポツリ、と。が上の空で零した呟きが、勇儀をヒヤリとさせる。今、この子は何と言った?何を考えている? わずかな恐れを胸に、の様子を窺う。 「――ねぇ、勇儀姉さま」 「駄目だ」 からの問いかけを、勇儀は反射的に切り捨てていた。 「まだ何も言ってないのに!」 「ああそうだねそのまま何も言うてくれるな!何か嫌な予感がする」 「橋姫さまやヤマメさまたちの様子を見てきてもいい?」 「だから駄――ん?あ、ああ…なんだ、いいよ行っておいで」 「はい、行って参ります」 少しむくれたような顔で、は颯爽と広間から出ていった。その背中を見送った勇儀は拍子抜けしたものの、それでも安堵の息を吐いて盃を仰ぐ。地上から旧都へ至るには、侵入者は縦穴と渡るものの途絶えた橋を通ったはずだ。そこにいる友人が無事か気がかりだったのだろう。特に橋姫はその性質上、侵入者と渡り合ったのは間違いない。 「やれやれ…どうやら私の考えすぎだったみたいだねぇ……」 まさか――が地上に行きたいと言い出しやしないかなんて。 ハハ、と渇いた笑い声を上げる。どうやらただの杞憂だったようだ。は友の安否を思いやっていただけ。最初からちゃんと話を聞いてやるべきだった、と自分の大人気のなさを反省しながら、勇儀は腰を上げた。 「勇儀さんどちらに行かれるんで?」 「私も友人らの様子を見に行こうと思ってね。お前さんたちはそのまま続けてておくれ」 水が枯れ、角のない無数の石が敷き詰められた道だけが、以前そこが川だったと教えてくれる場所。かつては三途の川として機能していたが、地獄のスリム化で切り捨てられたことにより水は干上がってしまっていた。渡る者の途絶えた川。その上にかけられた橋すら、今は渡る者は滅多にない。しかしながらその橋は地底の入口としての役割を持ち、番人を務める者がいた。橋姫、水橋パルスィである。 「……う……」 柔らかな癖毛の少女――パルスィが、身体のあちこちで疼く痛みに呻きながら目を覚ます。すると見慣れた少女の気遣わしげな表情が目に入ってきた。 「……」 「橋姫さま、ご気分は?」 「私は一体――ああ、地上から来た人間二人にやられたんだったわね…いたた」 のそりと上体を起こしたパルスィは、怪我の状態を確かめようと痛む箇所を見てみれば、すでに手当てされていた。目の前の少女がしてくれたのだろう。巻かれた包帯はとてもではないが器用だとは言えなかった。 「そうだわ、大丈夫?地上から人間が二人降りてきたのだけど」 「はい。勇儀姉さまが対応されました。どうやら目的があるようで、地霊殿の方まで向かわれたと」 「通したの!?」 「はい。一戦は交えたようですが、中々腕の立つ相手だったって喜んでました」 「あんの戦闘馬鹿…鬼ってのはみんながみんなそうなの?地霊殿っていったら旧灼熱地獄じゃない。あいつら人間だったけど死んじゃいないでしょうね…」 苦虫を噛み潰しながら毒づくパルスィ。これが彼女の本質だ。地底の番人、守り神。痛手を負わされてなお、侵入者の無事を案じている。 「橋姫さまは優しいね」 「は?何言ってるの……妬ましいわね」 「きっと人間二人のことなら心配いらないと思います。心強いサポートがついてたみたいだから……」 「……??」 ふと。の瞳にかげりがよぎる。どこか遠く、思い馳せるような。 パルスィが思わず声をかけたが、はすぐに顔付きを変え、いつも通りの明るい笑顔を見せた。 「ねぇ橋姫さま、地上ってどんなところ?」 「え?」 「橋姫さま、地上からいらしたんでしょ?私生まれてすぐ地底に来たから地上のこと全然知らないの」 「なによ、いきなりどうしたの?あんたがそんなこと聞いてくるなんて今までなかったのに」 パルスィとが出会ってもうどれくらいの月日が経つだろうか。その間一度もなかった話題が出たことをふと疑問に思って何気無く問いかけると、は戸惑いを滲ませながらうつむいた。まるで叱られることを怖れる童のように。 「……やっぱり、いいです……」 「あっ、!」 「わたしヤマメさまとキスメさまの様子を見てきます」 まるで追求から逃れるかのように、は足早にその場から立ち去っていった。残されたパルスィは、釈然としないまま縦穴の方角を見つめるしかない。 地上。 パルスィにとっては胸を引き裂かんばかりの辛い記憶が残る場所だ。けれど――無限の色に彩られた美しい地。清らかな小川や絶えず巡る爽涼の風、手を取り天空を廻る日と月。その中で繰り広げられる、生と死の営み。帰りたいとは思わぬまでも、見てほしい景色はたくさんある。一抹の不安はあるけれど。 そんな風に物思いに耽っていたパルスィの、先の尖った美しい形状の耳に高らかな下駄の音が響いてきた。旧都の方から近付いてくる長身の影を、橋の上に出て出迎える。 「おっ、パルスィ。どうやらあんたもあの侵入者二人とやりあったみたいだねぇ」 「…ええ、まぁね。まぁご覧の通り返り討ちにあって侵入者を通してしまいましたけど」 「あっはっは、そのようだね。されど気にやむことはない、あの二人は強かった」 「なんて言うくせに自分は無傷とか…妬ましい」 「誉め言葉だと受け取っておこう。ところで――が来たはずなんだが、知らないかい?」 挨拶もそこそこにを探して周囲を見回す勇儀に、パルスィは妙な脱力感を覚える。 本当にこの鬼は、親馬鹿というか過保護というか。勇儀のに対するそれは、もはや度を越しているのではなかろうか。 「? どうしたんだいパルスィため息なんてついて」 「なんでもないわよ…。後、ならヤマメとキスメの様子を見に行ったわ」 「お、そうだったのかい。じゃあここで待ってりゃ合流出来そうだね」 欄干に肘をつき呆れ混じりの溜め息を吐き出すパルスィ、その心中など知るよしもない当の本人はどかりと隣に腰を下ろした。どうやら居座るつもりのようだ。取り出した瓢箪から朱塗りの杯に酒を注ぐと、一杯呷って満足そうな息を吐く。 「アル中め…酒を飲むだけでそんな幸せな顔しちゃって、妬ましいわ」 「はっはっは、なんならお前さんも飲むかい?」 「私が下戸だと知ってて聞く?ますます妬ましいわね」 「何事も慣れさ慣れ。飲み続けてりゃそのうち飲めるようにもなる。そしたらとびきりの銘柄を持ってきてやるからさ」 「遠慮しとくわ」 「ふふ、つれないねぇ」 他愛ないやりとりをかわす。これが勇儀とパルスィの関係だ。誘いを無下にされようと、気を悪くする素振りもなく晩酌を一人続けている。気分よく酒を飲んでいる勇儀を横目で一瞥し、パルスィはふと口を開いた。 「ねぇ勇儀、もし…あの子が地上に行きたいって言い出したらどうする?」 何とはなしに口をついて出た問いかけ。深い思惑や他意など一切なく、思い付いたままの疑問だったが――それを耳にした途端、勇儀の顔付きが一変した。 瞳は剣呑とした光を帯び、今まで口元に浮かんでいた笑みが消える。ぎょっとするパルスィに目をくれぬまま、勇儀は先程までとはうってかわって静かなトーンで言葉を紡ぐ。 「どうするも何も……行かせるわけないじゃないか。当然さね」 その答えに、去り際のの姿が蘇る。合点がいったパルスィは、本日何度目かの溜め息を深々と吐き出した。 「成る程ね……」 「何がだい?」 「あんたのそういうところが、を縛り付けてるってことよ」 向き直りそう言い放つパルスィに、勇儀が眉間を寄せる。 「……どういうことだ?」 「そのままの意味よ。今回の侵入者がきっかけで、は地上に興味を持ち始めてる。だけどあんたが許さないのをあの子はわかってるから、その願望を押し殺してるわ。今はね。 でも……」 押さえられ続けた欲求はフラストレーションとなって、の中に蓄積していく。もしいつかそれが爆発してしまった時、どうなってしまうのか。パルスィにはわからない。 だがそれを訴えたところでこの鬼は聞く耳を持たないだろう。ならば、聞く気にさせるまでのこと。 「このままじゃあんた、あの子に嫌われるわよ」 「………!!」 カラン、と少量の酒を撒き散らしながら橋の上で回る杯。 パルスィが選んだ言葉は絶大な効果を発揮し、心を抉ったらしい。勇儀は愕然としながら口をパクパクさせている。余程ショックだったようである。正直笑い出しそうにもなったがなんとか噛み殺して、この好機に話を繋ぐ。 「当たり前じゃない。あの子の一生はあの子のもの。あんたが全部が全部どうこうしていいもんじゃないわ」 「で、でも私はあの子のためを思ってだね…!」 「わたしの…ため…?」 「「!!」」 勇儀とパルスィが揃って声のした方を振り返れば、今話題になっている人物――が、橋の袂に立っていた。ヤマメとキスメのところから帰ってきたのだろう。 「勇儀姉さまはいつもそう……弾幕ごっこも駄目、地霊殿に遊びに行くのも駄目、さっきだってそう、着いてきちゃ駄目!地上に行くのも駄目!!」 「」 「私は勇儀姉さまの傀儡(かいらい)じゃない!!」 涙目でそう叫ぶと、は踵を返し駆け出していってしまった。やはりつもり積もった鬱憤があったのだろう。勇儀は呆然としたまま、その場から動けないでいる。 下手すれば卒倒してしまいやしないかと、心配になったパルスィが声をかける。 「……ちょっと勇儀、大丈夫?」 「……私は――」 「白弥!?あんたこの数年どこほっつき歩いてたんだい!」 「その赤ん坊はどうしたのよ」 「私のややだ」 「……はぁあ!?」 「白弥が討たれただって…!?そんな馬鹿な話があるかい!」 「あいつら白弥を騙し討ちにしやがったんだ! 畜生殺してやる!殺してやる!!」 「勇儀!行っては駄目よ!」 「あー、あ」 「んー?はは、私の角が気になるのかい?」 「全く、妬けちゃうやねぇ。なぁ華扇」 「萃香の言うとおりね」 「この子は私が好きなんだ!ほら、私を見ると笑うんだよ!」 柔らかくあどけない愛し子よ ずぅっと私の傍にいておくれ どうか ――どうか。 110922 戻る |