地底、旧都。 元は地獄のスリム化により見捨てられ寂れた土地だったが、鬼たちの移住によって今や賑わいを見せるようにまでなった繁華街。「鬼」という一族が持つ力の成せる技、とでも言うべきか。彼等は怨霊や地底に追いやられた癖の強く荒くれた妖怪をまとめ、その建築技術により整然とした街並みを築き上げた。 地上を追われた者たちの楽園。その中に、一等立派な屋敷がある。旧都の権力者である鬼、彼らの頂点に立ち、かつては山の四天王と呼ばれた者逹の住みかである。とは言っても、四天王のうち一人はまだ地底に移り住む以前に人によって討たれ、二人は地上へとそれぞれ出て行ってしまったので、実質残っているのは星熊勇儀だけなのだが。 星熊勇儀――その雄々しい名に相応しき、剛力の鬼である。四天王の中で「力」の称号を持ち、二つ名を語られる怪力乱神、或いは破滅的な金剛力という。力自慢の鬼の中でも、突出した怪力を誇る猛者。外聞だけなら誰しもが恐ろしげな怪物を予想するところだが、実質勇儀は美しい女の姿をしていた。しなやかな筋肉を纏った肉体、たっぷりとした量感の乳房。丁字色の髪は長身の腰まで及び、一挙一動の度軽やかになびく。両手両足につけられた大層な鉄枷すら勇儀にかかれば装飾具と化す。額からそびえる真紅の角こそは、彼女が鬼たる証であり誇り。同様の色を点した双眸は、時に優しく時に獰猛に感情を映えさせるのだった。 豪放磊落な気質である勇儀は、日々屋敷に旧都の者を招いては賑やかな宴会を開いていた。妖怪たちの笑いが絶えない屋敷の一室、広間から離れた比較的静かな部屋で、一人の少女が水を張った硝子の器を覗き見る。水鏡に映るのは、地上の風景だ。 「わぁ…上では雪が降ってるのね……」 水鏡越しに見る雪景色ににわかに声を弾ませる少女の名はといった。外見的な年の頃は14、5か。黒髪を後頭部で高く結わえ、つむじの辺りから小さな鹿角を生やした、特殊な出生ゆえ半端な力の鬼の寵児。そんな少女を呼ぶ声が響いて来る。 「ー!?どこにいるんだいー!?」 「勇儀姉さま」 広間から聞こえてきたのは勇儀の声だった。は硝子の器を置くと、勇儀のいる広間へと向かった。 「なにしてたんだい?」 「地上の様子を見ておりました。上ではもう雪が降ってたの。だから明日からしばらく、雪を降らせようと思って」 「じゃあ明日は雪見酒と洒落込むとするかね。そうそう、今日はとっておきの果実酒を仕入れたんだ。これならお前さんの口にも合うだろう?」 当然のごとく自分の膝に座ったを気にも止めず、勇儀は傍から紅梅色の酒瓶を取り出す。 中身は苺の果実酒。 日本酒や焼酎の味が苦手なは殊更、果実酒を好んだ。そのため勇儀がのために用意した品だ。勇儀の愛用するものより幾分も小さな盃をが持てば、その中にトクトクと液体が注がれていく。 「ありがとう勇儀姉さま」 「どういたしまして」 破顔して自分を見上げてくるに笑って答えると、勇儀は自分の盃を傾けた。 遥か昔、鬼が妖怪の山に居を構えていた頃。なにがどうしてそうなったのか、鬼と龍との間に子が生まれた。つむじ辺りに小さな鹿角、顎の下に逆鱗、粗末な龍の尾。鬼としても龍としても出来損ないの赤子であった。龍は赤子の受け入れを拒否したが、山の四天王を初め鬼たちは快く迎え入れた。角があるならば我らがはらから。偽りを吐かず、他を欺かず、義に厚く、健やかに育て。 そして赤子が物心つく前に鬼は地底へと移り住み、今に至る。 地の底、旧都に雪が降る。 しんしんと舞い降りる雪すら、旧都の喧騒は覆い尽くせぬ。鬼と龍との落とし子であるには天候を操る程度の能力が備わっていた。地上から押し込められた者たちへせめて四季を贈ろうと、が力を使っているのである。四季折々の花鳥風月を再現できないまでも、少しでも酒の肴となるように。 ――ふと。 「………? 何?街道が騒がしいみたい…」 いつもの喧騒とはまた違う。そんな騒がしさを聞き付けて、が窓から顔を出す。住人たちの乱闘だろうか。 様子を見に飛び立とうとした小さな肩を、しかし大仰な鉄枷のついた手が後ろから制した。 「なんだかいつもと様子が違うね。私が見てくるからお前はここで待っておいで」 「えぇ!?私も気になります!私もいきたい!」 「駄目だ。いい子にしてるんだよ」 追随をぴしゃりとはねのけて、酒を満たした盃片手に勇儀が飛び出していく。残されたは、ありありと不満を表情に滲ませ、頬を膨らませる。 「勇儀姉さまの馬鹿!いけず!」 「はっはっは、そう言いなさんな。姐さんはおひぃさんが心配なのさ。万に一つのこともあってはならねぇってな」 勇儀と共に宴会をしていた妖怪たちがからからと笑い声を立てながらをなだめる。 「でも本当にいつもとなにか様子が違うの。勇儀姉さま大丈夫かな…」 「それこそ無用な心配だ!あの御仁を誰と思うていらっしゃる。怪力乱神、星熊勇儀だぞ!」 「そうそう。心配はいらんだろうて。いっそ街道の方が気がかりだが…盃を持って行かれたし大丈夫だろう」 「酒を一滴もこぼさないって戯れか。乱闘の鎮圧もあの方にかかれば児戯に等しいな。少しは骨のある奴がいねぇと勇儀さんも退屈だろうに」 勇儀の話題で盛り上がる呑んだくれをよそに、は街道の方角に視線を注ぐ。 侵入者は二人。正確には八人。 事態の収束後、その中にとある人物がいた事を聞いて、は地上を目指すことになる。 110908 戻る |