かつて、麗しくも哀れな乙女がいた。人ならざる魔性の血をひくが故に、数奇な生を辿った女。家族を野党に殺され、幼い身体を犯され子を産めぬ身体になり、声を失って奴隷に身をやつした彼女を救い出した者こそ、かの大王だった。
声を取り戻した女は王に心酔し、身命を捧げた。王は女の全てだった。一人の雌として王を愛していたのではない。王の存在そのものが、女にとっての世界だったのだ。
しかし女は失ってしまう。王を。世界を。研磨した魔術はなんの意味も成さなかった。女は王の命を救うことができなかった。女は絶望し、慟哭した。無力な己を呪った。彼女に残された唯一の希望、それは――夢に垣間見た王との再会。ただの妄想かもしれない。或いは夢幻か。
それでも女は諦めることが出来なかった。
王は女にとっての世界だった。
太陽であり、空であり、風であり、海であり、大地であった。
女は、女はただ、王の傍にあることだけが――







「あやつの心は、とうに壊れておったのだろう。家族を目の前で殺されたその日にな」

昔を懐かしむような、哀れむようなライダーの口ぶりは重い。壮絶な内容にウェイバーは我知らず息を呑む。

「その心を、あやつは余という存在をもって繋ぎあわせていたにすぎん……それでは駄目なのだ。余を欠いた途端に破綻してしまうであろう?傷は繋ぎあわせて誤魔化すのではなく、癒さなければならぬ」

続けて己がサーヴァントがそう語るのを、ウェイバーはただ黙って聞いていた。挟む言葉など見付かるはずもない。
何故があそこまでライダーに固執するのか、その答えがわかった気がして。彼女の心が息を繋ぐには、そうするしかなかったのだ。この強靱な男にすがる他に、心を保てなかったのだ。
改めてウェイバーは思う。
なんとしてでも、こいつを勝たせなければならないと。

「……で?癒すったってどうするつもりなんだよ。肉体的な傷と違って精神的な傷は目に見えないんだぞ。薬だって、ましてや治癒魔術だってかけようがない」
「そんなことは言われんでもわかっとるわい。いや、特効薬ならあるぞ?」
「なんだよ」

怪訝そうな顔のウェイバーに、ライダーは顎髭をさすりながらしばし思案する。
さて、答えるべきか否か。
真摯なボトルグリーンの瞳に何を思ったのか、ライダーは笑みを深めた。

「ところで坊主、貴様あれのことはどう思っておるのだ?」
「おい、オマエまだボクの質問に答えてないぞ!」
「まぁまぁ、よいではないか。ほら坊主、余の問いにさっさと答えんか」

デコピン発射の構えを突き付けられてしまえば、ウェイバーに拒否権は無い。たじろぎながら後ずさり、恨みがましく睨み付けてもライダーはどこ吹く風で。
暴力に訴えやがって、この野蛮人め!歯がゆさがつのるもののデコピンはごめん被りたいのも事実なので、ウェイバーは渋々口を開いた。

「あいつは……嫌味だしムカつくしボクのこと馬鹿にするけど、
……そんなに嫌いじゃ、ない」
「うむ、そうか!」
「ぎゃっ!?」

満足そうなライダーに背中をバシッと一叩きされ、ウェイバーが悲鳴を上げる。この男はほんの軽く叩いたつもりでも、ウェイバーにとっては思いきりはたかれたも同然で、涙目でゲホゲホと噎せてしまう。

「なんだ、だらしがないぞ坊主」
「う、うる、へ、ゲホッ」

もうやだホントこいつムカつく!
苛立ちながら心の中で喚く。本当にこのサーヴァントときたら、やりたい放題でデリカシーがなくて――

「特効薬の話だがな」

ライダーが改まって声音を落とす。それに同調し、ウェイバーも気持ちを切り替えて耳を傾けた。

「この世に"存在する"が、"存在しない"ものだ」
「第五元素(フィフス・エレメント)とかか?」
「なに、特別なものではないぞ?人の真心だよ。真にそいつを思いやり労わる心が特効薬になる」
「なんだ、月並みだな」
「ああ。しかし口で言うほど容易いことではないぞ。理屈ではわかっていても感情というものはどうにもならんものよ」
「………」
「その最たる例が恐怖だろうな。命の危機に瀕し逃げなければならない時、身体がすくんで動けない。よく聞く話であろう?」

同意を促すような視線を受けて、眉根を寄せる。
こんな話を自分に聞かせて、ライダーはどうしたいのだろう。

「……それで?」

だから問う。どうせ考えてみた所で、この男の内心を推し量ることなど出来ないのだから。

「それなら話は早いじゃないか。オマエがいる。オマエがアイツを癒してやればいい。あいつだってそれが本望だろう」
「ウーム……それが出来りゃあなあ、余もやぶさかではないのだが」
「どういうことだよ」

困り果てたといった様子のライダーにウェイバーが怪訝そうな顔をする。あんなに慕われているのだ、後はライダーが相応の、それこそ真心というやつを返してやればいい。そう思ったのだが。

「王!羊羮とお茶を持って参りました!お口にあえばよいのですが……
いかがなされました?」

部屋へと入ってきた闖入者、もといにより、会話は中断を余儀なくされてしまった。



王だった。その男は人でありながら、どこまでも王だった。人の上に君臨し、人を導く星の元に生まれついていた。
欲するままに蹂躙し、征服し、思うがままに生きながら、しかしその姿で諸人を魅せた暴君にして英雄。砂漠の日差しのような鮮烈さで人の心に焼き付いた王は、しかし一人に心を注ぐことはなかった。王の心は真っ直ぐに夢を、オケアノスを目指していたからだ。故に王は万人を愛し、万人も彼を愛した。
結論から言えばその男は、傷付いた一人の人間の心を癒すようには出来ていなかったのである。



(そうなんだよなぁ)

心の中でごちながら、ライダーが髭を触る。
ライダーにはわかっていた。どんなに慕われても、どんなに気にかけていても、自分にはその魂を癒すことは出来ないのだと。
の魂を癒す方法は簡単だ。恐らくは共に、穏やかでささやかな一生を送ればいい。
だが今生で受肉を果たしたとしても、己は再び覇のために突き進むだろう。を想い、のためにしてやれることなどたかが知れている。

「なんでボクの分がないんだよ!」
「なんであんたの分を用意しなくちゃいけないわけ?」

いつものやり取り。噛み付くウェイバーをが冷たくあしらう、もはやお決まりの光景だ。
羊羮を咀嚼し、茶を啜りながら、ライダーはただ傍観する。
ライダーだとて、のことは憎からず思っている。かつての今際に気がかりだったのも、彼女の行く末だけだった。そしてライダーが危惧した通り、は今も遥か過去のしがらみに囚われている。

だが、とライダーは思う。

平凡でヒステリックではあるが、心根の優しいこの少年なら或いは、と。

「しっかしお主ら、仲がいいのう」
「どこをどう見たらそうなるんだよッッ!この馬鹿!!」
「はぁ!?王に向かって馬鹿とかあんた何様なの!?馬鹿なの!?死ぬの!?」
「なんだとぉおお!?」
「はっはっは!」

ぎゃんぎゃんと喚き合う二人を微笑ましく眺めながら、ライダーは胴間声で楽しそうな笑い声を上げる。

たとえ自身がどうなろうとも、先行きはきっと悪くない。

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