ヘファイスティオン。 アレクサンドロス大王を語るにおいて、必ずその名と逸話が上がる彼に、前世私は会ったことがある。 我が王は彼をいたく気にかけておられた。 が、私や友であるエウメネスからしてみれば、正直抜きん出た才はないように思えた。王には忠実であったものの特別武勇に優れていたわけでもなく、そのくせ気位ばかりが高い。オリュンピアス様との手紙のやり取りは、そりゃあもうすさまじかった。大笑していたのは王一人で、私を含めたその他大勢は青ざめたものだ。 いささか頭が回ることと度胸は認めるが、王からの寵愛を一身に賜る理由にはならなかった。 しかし誰よりも王の心に寄り添い、王が抜き身の刃もかくやと言わんばかりに激昂した際には、彼という鞘無くして場は収まらなかっただろう。 無二の親友、という枠では到底二人の関係は収まりきれないと感じた。 王はまるで、ヘファイスティオンを己が半身のように大切にしていた。私から見れば二人は似ても似つかなかったけれど。 ある月明かりが美しい夜のこと。彼が私の元に訪れ、魔術を見せてほしいと言ってきた。あまり気乗りしなかったが私は彼の願いに応え、初歩的な術式と微量の魔力で行使できる、水の操作をやって見せた。目線の高さに浮かべた水が命令通りにその形を変える――最初は不定形、次に人、馬、鳥。舞い上がったそれを、最後に細かい水滴にして降らせる。月光を灯したそれらが落ちるさまは、まるで光の粒が降り注いでいるように見えただろう。ヘファイスティオンは少年のようにきらきらと目を輝かせ、手を前方へと掲げた。 素晴らしい魔術だと彼は称えた。だがこんなものは魔術ですらない。ただの子供騙し、児戯だった。褒められたところでなんの感慨も湧きはしない。 ヘファイスティオンは不意に寂しそうな笑みを浮かべると、私にもこのような異の才があったならな――と呟いた。 彼は自覚していたのだ。王の軍勢にありながら、己がいかに無力であるかを。 結果、ヘファイスティオンは私に魔術の指導を乞うてきた。ますますもって気が乗らないことこの上なかったが、話を聞き及んだ王にまで頼まれては断れるはずもない。内心で苦虫をぐっちゃぐっちゃに噛み潰しながら、私は承諾した。エウメネスから送られた微妙な視線は今でも覚えている。 ヘファイスティオンは、魔術への理解や呑み込みはいいのだが、残念なことにいかんせん才能がなかった。そもそも私は自身の研磨と真理の研究に忙しいというのに、何故他人の面倒など見なくてはならないのか。全くもって、王は彼を贔屓しすぎる。 しかし私の苛立ちもそう長くは続かなかった。 死んだのだ。あまりにもあっけなく、王が最も愛し、私の弟子となった男が――ヘファイスティオンが、死んだのだ。 エクバタナで、突然彼は病に伏した。原因は不明とされているが、私にはわかってしまった。 今まで王が成してきた侵略と征服。その過程で犠牲になってきた人々の無念さや怨嗟や嫉妬……ひとつひとつはとるに足らないものであったとしても、何千何万と集まれば生命を蝕む恐るべき呪いと化す。魔術の心得を得たヘファイスティオンは生来の聡さを持って呪いに気付き、そしてその呪いを自分に移し変えたのだ。 私は愕然とした。不満を胸裏に溜め込むあまり見識を曇らせ、呪いに気付けなかった愚かな自分が憎かった。せめてもの罪滅ぼしに私が呪いを引き受けようとしたが、それすらも叶わなかった。 「この呪いは"イスカンダル"への恨み辛みで出来ている……私が代わり身となれたのはひとえに、王がこんな私をもう一人の自分として扱ってくれたからだ。他の家臣に比べれば私など凡夫に過ぎなかったのに……けれどようやく、王の親愛に報いることが出来る……」 やつれきった蒼白な顔面には死相が浮かび、声も力なかったが、それでもヘファイスティオンは安らかな顔容でこちらを見ていた。 「だから自分を責めなさるな、我が師よ。あなたがいなければ、私は無力なままみすみす王を死なせていたやもしれぬ。 私にこの死に方を与えてくれて、本当に、心から――感謝している」 そうしてヘファイスティオンは、息を引き取った。 その後の王の嘆きようは、伝えられている通りである。半身を喪い、その悲痛に耐えきれず王は慟哭した。獣が吼えるように泣き叫び、医師を処刑した。 私は余程呪いのことを進言し裁きを受けようと思ったが、ヘファイスティオンが御身の身代わりになって死んだと知っては、王は深く傷付いてしまう。 けれど私は黙しきれなかった。エウメネスに涙ながらに打ち明けると、友は一番にヘファイスティオンへの弔意を表した。 ヘファイスティオン。彼は確かに、他のヘタイロイの面々に比べれば凡俗な人間だっただろう。そのくせ自尊心は人一倍で、侮辱を決して許さなかった。今になって思えば、それは王が彼をもう一人の自分と称したからだったのかもしれない。なればヘファイスティオンへの侮蔑は、王に対する侮辱だと。 居丈高な態度の裏で、王からの評価にとても釣り合わない、本来の自分に苦悩していたのではないか。彼の生来の気質は極めて謙虚かつ献身的だったのではないか。 考えても答えなど無く、詮無き事だった。 翌年、王は急逝する。 私はヘファイスティオンと違って、王のお命を救うことが出来なかった。 無力なのは、私の方だった。 ヘファイスティオンではない、この私こそが。 二千有余の時を経て、私は王に巡り会う。 王の傍には、大変小生意気な小僧がいた。なんでもこの度行われている聖杯戦争とやらに参加している魔術師らしく、王はそのサーヴァントらしい。 プライドだけは一丁前だが、はっきり言って小者だった。魔術回路もお粗末きわまりないし、魔術量も話にならない。それだけの狭量な器で王を従えるつもりだとは、笑止千万。脳内審議の結果、死刑。 王はこの少年を大層気に入っておられたが、私には到底理解できなかった。 やがて私は知る。 「あなたこそ――」 ヘファイスティオンが英霊として座に招かれていないこと、そして、その魂が。 「――あなたこそ、ボクの王だ」 矮小な体躯の魔術師――ウェイバー・ベルベットとして生まれ変わっていた事を。 その言葉を聞いて初めて、王も私も知ることになるのである。 というMOUSOUが芽生えてだな 20120520 |