魏軍の兵として戦場に立つことがどういうことなのか理解していたつもりだった。 敵を、人を殺すということだと。自軍の兵士達のように笑顔があり、家族があり、命ある人間を殺すことなのだと。 わかっていた。覚悟していた。 それでも、自分の携えた凶器が鎧を砕き、肉を貫いた時、は絶望した。柄を伝ってくる肉を切る感触はあまりにもおぞましく、全身が震えた。浴びた血潮の熱さに、身体が急激に冷たくなっていく気がした。 それでも戦わないわけにはいかない。戦場に立つということはつまり、殺しあうことなのだから。 初陣を優勢で終え、陣地に戻った頃にはの顔は青ざめていた。 それを見咎めた鍾会が不快げに眉を潜める。 「なんだ、その腑抜けた面は」 「鍾会、様……いえ、いえ……なんでも、ありません……」 声には明らかに覇気がない。悄然として今にも病んでしまいそうな顔色が気に食わず、鍾会は舌打ちした。 「なんだ、戦が恐ろしいのか?ふん、とんだ甘ちゃんだな。そんなことで武人が務まるとでも思っているのか」 「申し訳ありません……」 従順に謝罪を口にするに益々苛立ちが募る。傷付いたといわんばかりの顔が癪にさわったのかもしれなかった。 いかにも見下した調子で鍾会が嘲った。 「人を殺すのがそんなに嫌なら、都に帰ったらどうだ?自邸で安穏としていればいいだろう。 司馬師殿には私から言っておいてあげるよ」 ――瞬間。 嘆きに沈んでいたが、面持に激昂をみなぎらせた。 「――なんということを!!」 声は怒りのあまり震えている。青ざめたまま、は虚を突かれた鍾会をひたと見据えた。 「確かに都に戻れば私は戦役を免れます。でも、そのことに何の意味があると言うんです!?私が安穏と暮らしていても、戦場で人が死ぬことに、誰かが敵を殺していることに変わりはないのに! きっと味方の兵が死んだと耳にするたび、私は己を責めます…!私には戦う力がある。なのにおめおめと逃げ帰ってしまった卑怯者なのだと!私が戦線に出ていれば、すこしでも…歴史から見れば取るに足らない事でも、変わった運命があったかもしれないと…! 微力ながら戦えて、国を思うなら、少しでもなにかできるのなら、何もしないでいることは罪です! けど、恐れてはいけませんか、苦悩してはいけませんか!?私は…敵を、人を殺しているんですよ…!?」 ぼたぼたと涙を流しながら慟哭するは、ともすればくず折れそうな身体をなんとか押しとどめているようだった。鍾会は冷めた気持ちでそんなを見ていたが、それ以上口を開かないのを認めて、溜め息を吐き出した。 「言いたいことはそれだけか?」 あまりにも無情な響き。しかしそれがかえってに冷静さを取り戻させる。 本来であればたかだか一兵卒の、更に言えば初陣の自分がこんな口をきいていい相手ではなかったのだ。ようやくそこに思い至り、は先程までとは別の意味で青ざめた。 よくて追放、もしくは不敬の罪を咎められて斬られても仕方ない状況だった。 「……はい」 か細く答えて俯けば、鍾会に背を向けられる。 「下がっていろ」 「はい……」 「……じきに慣れる」 思いもよらない言葉に驚いたが顔を上げたが、すでに男にしては華奢な背中は遠ざかりつつあった。はただただ茫然とし、鍾会の姿が天幕に消えると、自身もまた割り当てられた天幕へ向かった。 (血で染まってなお、潔白でいられるか) 自身の天幕で、鍾会は思考を巡らせる。 綺麗ごとだと思った。愚かだと思った。けれども、眸も涙も、あまりにも清らかだった。 その清らかさは、嫌いではない。 (だがいつまで保っていられるか) やがてあの清廉な娘も知るだろう。戦いに赴く前の高揚を。戦場で舞うことの興奮を。自分の積み上げた屍が戦功となり、周囲に誉めそやされる陶酔を。 「見物だね」 独り、不敵に嗤う。 あの清さが濁るのを見届けるのも悪くない。そしてその時、かの男がどんな顔をするのか――それが楽しみで仕方なかった。 しきちゃん性格わるーい。すみませんわしです…。 夢主の本性は十二国記の麒麟をだいぶ緩和したやつをイメージしてるので、まぁ濁らないと思うよ的な。 130526 戻る |