「全く、世話の焼ける……!!」

 憤りをあらわに、鍾会がずんずんと足音荒く道を行く。その傍に平素何かと理由を付けて付き従わせている副官の姿はない。
 因縁の地である赤壁の戦いにて呉蜀の連合軍を打ち破り、三国を平定した魏の将である鍾会は今、元は呉の領土であった郡の視察に訪れていた。無論副将であるを伴っての任だったのだが、少し目を離した隙にはぐれてしまった。しかも中々に賑わう繁華街、人通りも多く姿を見つけるのが何気に困難という有様である。

「くっ……この私を煩わせるとはいい度胸じゃないか…!」

 ぎりりと歯噛みしながら、なおも鍾会はを探す。だがどうにもそれらしき風貌を見つけられず、鍾会ははたとある可能性を思い浮かべた。

(まさか……よからぬ輩に裏路地にでも連れ込まれでもしたか……!?いや、しかしあいつも一介の武人だ、その辺りの心配は無用なはず……いやでもあいつはお人よしなところがあるからな……言葉巧みに騙されて……)

 よくない考えばかりが頭をよぎる。彼はいささか妄想癖の気があった。自分の勝手な妄想でいてもたってもいられなくなった鍾会は、くそ、と吐き捨てて路地裏の方へ足を向けた。しかし路地裏にもの姿は結局見つけることが出来なかった。
 さて、いよいよの行方がわからず、鍾会の背に冷たいものが伝う。
 まさか、本当にの身に何かあったのではあるまいか。呉の残党によって連れ去られ――

「鍾会様!!」

 青ざめていた鍾会が声のした方に目をくれると、探しに探したとケ艾がこちらに向かってくるのが見えた。

「よかった……!鍾会様、探したんですよ!」
「それはこちらの台詞だ!!それに何故ケ艾殿がここにいる!!?」
「自分は別の郡の視察に向かう途中たまたま立ち寄ったのだが……が気付いたら鍾会殿がいなくなったと言うので、捜索を手伝っていた」
「もしかしたら先に役所に行かれたのかと思って訪ねてみてもいらっしゃらないし……」
「な…っ、い、いなくなったのはそっちだろう!!私が露店で足を止めて見ていたのに気付かず進むとは……!!」
「気付いて探したけどいなかったじゃないですか!どこに行ってたんです!?」

 まさか心配して路地裏まで行っていたなどと鍾会には口が裂けても言えるはずがない。
 つまるところ鍾会がその場を動かなければよかっただけの話なのだが、自尊心が高い鍾会がそれを認められるわけもなく、苦し紛れに反論する。

「う、うるさい!そもそもお前が私のそばを離れたのが悪いんだ、悔い改めろ!!」
「なっ…どういう言い分ですか!」
「二人共、落ち着け。このような往来で騒ぐものではない。
それで鍾会殿は一体何を見ておられたのだ?」
「そ…それは」

 ケ艾からの問いに、鍾会が言葉をつまらせる。時を遡ること数刻。繁華街を歩いていた鍾会の目を引いたのは、色鮮やかな西域の錦織だった。露天の前で足を止め、鍾会はまじまじとそれに見入る。錦織はいくつか品数があり、それぞれ色の組み合わせや模様が違っていた。
 に似合うのはどの柄だろうか。値は張るががどうしてもというならば、買ってやらんこともない――彼にはやはり、妄想癖の気があった。
 一人でにやけながら髪をいじる鍾会へ、店主が怪訝な眼差しを向けていることなど気にもとめず、鍾会は振り返った。
 お前はどれがいい、私はこれなんかがいいと思うが、まぁ好きに選んでくれてかまわないよ。
 しかしそこにはの影も形もなく今に至る、というわけである。
 鍾会はまさかそんなことを正直に言えるような男ではなく、口籠もってしまった。

「鍾会殿?いかがされた」
「あっ…あんたには関係ないじゃないですか!鬱陶しいんですよ!!」
「鍾会様!!」

 の鋭い声に咎められて鍾会があからさまに顔をしかめる。この娘は普段は温厚であるのに、戦場と養父のことに関しては激情を露わにする傾向にあった。ふてくされる鍾会と目くじらを立てるを交互に見、ケ艾が苦笑する。

「まぁ、何事もないのであればよかった。呉の残党に鍾会殿が襲われたのではないかと、が動転するのでな」
「ちっ……父上!!」
「では、自分はこれにて失礼する」

 呆然としている鍾会と顔の赤いを残し、邪魔者は退散するとばかりにケ艾はさっさと立ち去ってしまった。
 雑踏の中、二人は立ちすくんだまましばし沈黙する。
 先に口を開いたのは鍾会だった。

「……西域の錦織があったんだが……まぁ、中々に見物でね。視察が終わったらその、どうだ」
「えっ?あ、はい……じゃあ、お供します」
「そ、そうか!!そうと決まったらさっさと視察を終わらせるぞ!!」
「あっ、鍾会様!?」

 軽やかな足取りで先を行く鍾会を、慌ててが追いかける。今度ははぐれてしまわぬように、しっかりとその背を視界の中心にとらえながら。

(やれやれ)

 自分に与えられた本来の任を全うするため、ケ艾は繋いでいた馬に跨がり郡を離れるところだった。
 鍾会の性格は元より、も妙なところで素直になれない質なので、心配して様子を見に来てみれば案の体である。

(想い合っているのだろうに)

難儀なものだと思うのに、ケ艾の口許は自ずと綻ぶ。それを見留めた陳秦が「なにかよいことでもありましたかな」と尋ねれば、ケ艾はこう答えた。

「いや……いらぬ世話だとは思うが、若者の拙い恋情が微笑ましくてな」

20130418
結局迷子はしきちゃんだったというオチ


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