ある日、文官であった父が病で死んだ。私はまだ幼い童女だった。
 物心つく前に母を亡くし、兄弟もいない私はひとりぼっちになってしまった。
 私は泣いた。とにもかくにも悲しかったし、どうにも涙が止まらないので、泣くしかなかったと言った方が正しいかもしれない。
 そんな時だった。あの人が、泣いていた私の涙を拭ってくれたのは。
「自分はケ士載という者だ。君のお父上とは同僚の仲だった」
「父上、の…?」
「そうだ。君のお父上は立派な方だった…自分も随分と世話になった。その御仁の娘である君を見捨ててはおけぬ。君さえよければ、自分の子にならないか」
 あまりにも突然のことだった。けれど、その人の瞳があまりにも綺麗で優しく、私の手を取ってくれた掌がとても温かったので、私は泣きじゃくりながら頷いた。
 こうして私はケ艾様の養子となった。かといって住処は今まで通りだったし、ケ艾様…父上と一緒に暮らすこともなかった。父上は忙しくあまり自邸にはいらっしゃらないようだったから、それなら住み慣れた家で気心の知れた召使と過ごした方がよかろうと、気遣ってくださったのだろう。
 養子となったその日以来お会いできることはなかったけど、それでもまめに文を寄越してくれた。文には父上の近辺で起こったささやかな笑い話や、私を思いやる言葉がいつも連ねてあった。私は確かにケ士載の娘だと、孤独ではないのだと、文面からにじみ出る温情に実感したものだ。
 いつかこのご恩をお返したい。
 女の嗜みとして楽や縫い物、料理などを教え込まれる傍ら、私はいつも考えていた。
 やはりこの乱世にあって、父上のお役にたてるものは武ではないかと。
 古参の召使などは悲鳴じみた声を上げて私を止めようとしたが、私の意志は固かった。ひたすらに鍛練に励んだ。私がいつまでたってもねをあげないことに家人も観念したらしく、師となるべき人を呼び寄せてくれるようになった。
 手に肉刺が出来、潰れる。それを幾度か繰り返すうち、手の皮膚が固くなった。召使の老婆ははらはらと泣きながら、これでは嫁の貰い手がありませぬ、と嘆いたけど、私にとって大した問題ではない。
 そんなこんなをしているうちにあっというまに月日は過ぎ去り、気がつけば私は成人していた。光陰矢のごとしとはこのことである。
 それでも乱世は未だ終わりを告げていなかった。一度は均衡を成したように思われた三国鼎立は、蜀の劉備玄徳、我が魏の名主曹操様と曹丕様亡き後、再び混乱を産み出していたのである。揺らぐ時勢。国内の騒乱と敵の侵攻。
 時は来た。父上がため、磨いたこの武を捧げる日がきたのだ。
 十年ぶりの再会に想いを馳せ、胸高鳴るまま私は家を飛び出した。

 そして。

「おーいケ艾、お前の娘って名乗る奴が来てんだけど」

 緊張しつつ、司馬昭様に案内された幕舎。その中にいた人影に、私は驚愕した。
 あちらも私を見て驚いたように目を見張っていたが、その比ではない。
 もしや司馬昭様がなにか勘違いなされて、父とは別の人間の元に通されたのではないか、という私の推察は、しかし次の言葉で覆されることになる。

「まさか……なのか?」
「ち、ちっ、父上……?父上なのですか……!?」

この陣営に着いてからまだ司馬昭様と王元姫様にしか名乗っていない名前を、その人物は知っていたのだ。信じられないという思いのあまりか、飛び出した声は滑稽にも裏返ってしまっていた。
しかしその人物は私の知る養父と全く違う様相をしていた。
記憶の中の養父は、取り立てて挙げるような身体的特徴はなかった。言うなれば普通の人だった。それもそうだ、養父は私の実父の同僚、つまり文官だったのだから。
それが今は、褐色の肌、太い腕、逞しい脚、盛り上がった胸板……あまりにも筋骨隆々としていたのである。
あまりの違いようにやっぱり別人なのではないかとあんぐりしていた私を、目の前の偉丈夫が気遣わしげに覗き込んでくる。
「突然自分を訪ねてくるとは……どうかしたのか?」
向けられた瞳に、ハッとする。
忘れようはずもない。
実父を亡くして泣くことしかできなかった私に注がれた、この綺麗で優しい眼差しを。
私の知っている姿からいささか…いや、だいぶかけ離れてはいたものの、この人は間違いなく私の敬愛する――
「……父上……」
感極まってしまった私は、なんとも情けないことに泣き出してしまった。しゃくりを上げるばかりで話せないでいる私の背を、父は急かすことなく優しく撫でてくれる。じわりと沁み入る温かさに、やはりこの人は父なのだと確信は深まるばかりであった。

二度目の邂逅。

初めて会った時と同じに泣く私を、父上はなだめてくれたのだった。




っていうね!しきちゃんでなかった<(^o^)>
20130301

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